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あくたがわりゅうのすけと、みしまゆきおは読んだことがない。さわりくらいなら読んだことがあるけれど、しっかり一冊一話、とかは読んだことがない。他の、今はあまり読まれていない作家は良く読んだのだけど、この明らかに有名な二人の本は特に読む機会がなく今まで生きてきてしまった。のだけど、これに後一人加わるところだった、なつめそうせき、の「こころ」をようやく読み終わったので、なつめそうせきはこの中からいなくなった。有名所を読んでいない、というのはちょっと恥ずかしいかな、という気持ちになるのだけど、お呼ばれしていないのに家に遊びには行けない、ような気持ちが働いて、結局読んでいない。ようやく上がってもいいよ、と言われた気になったので、なつめそうせきを読んだわけだけど、授業で少しだけ中身を読んだことがあって、内容も知っていたのに、最終的に大変しんどい話である、と今更に思いつめて呻くように本を置いた。大変にしんどかった。自殺する友人がいる、というのはずっと以前から知っている話で、小説を書きたい、とか思うようになる以前から、なんという辛気臭い話、と思っていたのに。今更、思い知るのは不思議なように思う。この登場人物の末路を知っているというのに、いやむしろ知っているから?生い立ちと学業と人となり、くらいしか情報がないというのに、彼が死んでしまうほんの数日前の描写はこたえる。一緒になって死んでしまいたい気持ちに駆られるくらいこたえる。なんという不憫な、と思うとやるせなくてかわいそうで、言葉もなく寝転んで落ち込んで眠った。人が自殺する話、と明確に書いてしまうと、その中に感情や事情の一切は総括されて、差し迫った物を想像する力が私にないのか、人一人が自分自身を殺す話なのだからそれはその中にすさまじい物があってしかるべきなのに、何とも軽い気持ちで読んでしまった、となって落ち込んだ。ようするに、めっちゃしんどい。

 

こんな気持ちになるような気がして、耐えられないので読みたい気持ちはあるけど読めない、という本もある。夏の花、と苦海浄土、の二冊なのだけど、どちらもノンフィクション的な要素があり、その現実を突き付けられる感じに耐え切れそうにないので読めない。夏の花は原爆投下後の広島の話で、苦海浄土は水俣病の話で、前者はどうにか少しだけ読んで延々本棚にだけ収めていたけれど、引っ越しと同時に耐え切れなくて手放した、のを少し後悔している。後者に至っては、本棚に収める勇気すらない。いつかは読みたい、とは思うのだけど、耐え切れない気がして読めない。両刃の刃物を素手で力いっぱい握れとか、槍の上を裸足で歩けとか、そういう感覚に近い。絶対痛いやんそれ、となると想像するのも怖くて、本があるだけで怖い。だというのにどちらとも、文章という点で言うと信じらえないぐらい美しくて読みたい。魂に刻み付ける、という名目で書かれているから当然なのだけど。切れ味最高。なんかこう、感受性が誤作動を起こしてものすごく鈍い時に読みたい。そうでなければ一緒に死にそう。

 

なんでこんなことを書いているのかというと、こころ、しんどかったんや、と愚痴りたいんですね。

 

新しい装丁の、真っ白の拍子に、メタリックの水色で、おしゃれに「こころ」と書いてあって、美しく光っているのだけど、真っ白にするよりむしろ真っ赤にして、字を白で抜けば、あなたの顔の上から私の心臓の血を注いであげますみたいなせんせいの文に沿うていて、読んだ人を尚更震撼させられるのでは、といらぬことを考えたりしました。文章は凶器。人をメッタ刺しにできるし、きれいに切り刻める。怖いやら美しいやら空恐ろしいやらでも離れられないやらで、なんだかしんみりと悲しく秋の風を受けております。

 

そんなわたくし、やはり、ジャンル難民です。

あ、それでね、今日は私の大切なお友達の誕生日。おめでとー。わー。