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ただいま。

映画は結局見に行かなかった。一人で見に行って無事に東京駅に時間通りに戻ってきて時間通りの新幹線に乗れる気がしなかった。本当に電車がよく分からなくて、前もって調べていても意味はないし、地図を見ていて空間把握をしていると思っていても全くできていない、ということが分かったから。前日の美術館でおなかいっぱいだったのもあるんだろうと思うけれど。

 

行きの新幹線の、お弁当食べるところまでは、機嫌よく過ごしていたように思うんだ。何線の地下鉄なのかがよく分からなくなって、ホテルが見つからなくて、荷物を持ったまま移動しないと駄目だとわかって、電車に乗り遅れた辺りから、もう駄目だ、と理解した。それでも間に合って行けたから、そんなことで大丈夫だって油断したのかもしれない。お誕生日の人を待たせるのって罪深いなあと思って急いでみても、乗った電車結局各駅停車でもう手遅れだったし、間違いなく着かないな、と諦めて席に座って、家に居るだけで、仕事をしなくて、家族以外と関わらないと、自分の駄目なところと向き合わないで生きているのかな、と思ったりして、結局遅れて、場所も分からなくなって、雨も降ってきて、状況は完璧だ、と知らない人が行きかうのを見ながら感心した。あぁいう時は、人が多ければ多い程、自分だけが浮いている感が強まるのかな。結局迎えに来てもらって、ようやくお店について、頼んだ飲み物は何かわからなくて、ごはんは味が濃くて、でも久しぶりの人ばかりだったから、うれしかった。東京に来たなあ、っていう気がしたし、こういうことがないと、みんなでごはん、ってないなあ、って思った。これでホテルのチェックインの時間が12時過ぎてるからもう無効です、って言われたら酷過ぎるな、と思って、部屋に入るまでまるで安心できなかったおかげで、なんだかずっとハラハラしていて、結局何の話をしていたかは覚えていないのだけど。なんだろう。みんなが楽しかったならいいのになあ。かりんさんは相変わらずふわふわしていてかわいかったし、相変わらずアイドル好きだったし、現実に存在している人を指して、彼に14歳の頃があったんですよすごくない?っていう発言がなんだかすごくかりんさんで、相変わらず指先まで綺麗な人だ。

 

wacaさんも好きそうだし大丈夫じゃない?と思って代官山まで行ったけれど、はたして、道案内させただけで疲れさせただけなのでは?と思わなくもなくて、本当に、計画性とか処理能力とか、三十までに身に着けるべきだったことは山のようにあるのだけど、あうのも一年以上ぶりだし、うろうろと歩けたのは、結果的に良かったのかな。どうかな。楽しかったのかな、あの人。やっぱり疲れさせただけかな。まぁ、いいか。

 

一人で移動中は、どうにも感情の振れ幅が大きすぎて、何を考えているのかよくは分からなかった。すぐに泣きそうになったり死にそうになったりで何事なのか自分でも理解できなかったけれど、お寿司は美味しかったし、ちゃんとごはん食べてるんだななっちゃん、と思えて安心したし、当たり前のことだけれど、生活の場として、過ごしている、眠るだけではない場所で良かったな、とおせっかいなことを思ったりして、よく分からないことばかり話してしまったのは何だったのか。誰かのタイムラインを見ると、何事かの情報の提示があって、それを読むと、悲しいこともあって、その事実に驚いたり傷ついたりしていると、時間はあっという間に過ぎる。深く考えることをさけて情報ばかり集めて、新しいことを知っている、ということだけに安心して、自分の時計は動いている気になっているけれど、自分の中の時計は一切動いていない。考えても行動してもいないのだから。ただ、見ているだけだ。それでも感情が動けば、何事か収めた気になって、その実何も手に入らなくて、それを繰り返している。そういう一切を繰り返したくない、と上手く言葉にできなかった。ごめんね、変な話をして。

 

お寿司おいしかったよ。ありがとうね。それに会えてうれしかった。ありがとうね。