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そろそろ・・・そろそろ私の花粉症の時期が来るよ・・・窓を開けているととてもさわやかな風がとおり抜けるのに、それと同時に襲来する麦の花粉・・・。三秒に一度のくしゃみ・・・猛烈な目のかゆみ・・・coming soon・・・。

 

ところでなっちゃん、我が家は明日法事です。一周忌なので、また来年三周忌法要があるかと思うとなんなんそれ、となりますが、田舎なのでその辺はきっちりしているようで、親戚がきてうどん振る舞ったりお茶出したりとにかくいろいろと面倒です。何なんだろうこのしきたり。よくわからない。お供え物のお下がり、みたいなことで、果物やら乾物やら袋に分けてお一人お一人に渡すわけですが、実際のところはお供えしているわけではなく、ただ買ってきて袋に分けて一人一人に渡すだけです。なんでやねん。皆が法事を葬儀場とかでしちゃうのが良く分かる。家でなんかしたら大変で仕方がない。実家帰ってきてて心底よかったわ、これおかん一人でやるのかと思ったらもう、という気持ちで今朝は掃除機をかけていました。今日はお姉ちゃん一家が襲来するので、ご飯もちょっと気張って作らなあかんのや。たーいへーん。

そんな我が家です。

 

ところで、なっちゃん芭蕉さんについてどう思いますか。どうもこうもあるかい、って感じだと思うのだけど、私としては周りから、とにかくすごいリスペクト万歳三唱、くらい芭蕉はすごい、と言われ続けてきたのだけど、その凄さ、俳句がからっきしなもので、何のことやらわからないぜよ、ってなもんでした。ただ、「ついに無能無才にしてこの一筋につながる」っていう芭蕉さんの一文を見た時に、俳句は分からないけれど、100年以上経っても万歳三唱されている人の俳句が、無能無才にしてこの一筋に繋がる、っていうなかなか絶望的な心境を貫いた末に実ったことかと思うと、すごさは分からないけれど親近感?のようなものはあって、その点で、すごいのかもしらん、とは思っていました。要するに、私は俳句は分からんのや。そういう浅くなんとなく知っている、という具合だったのだけど、先日ね、「蛸つぼや はかなき夢を 夏の月」っていう俳句を見てしまったのだよ。この句を見ると今も割合泣けてくるのだけど、蛸ってねなっちゃん、暗くて狭いところが好きらしいのだけど、だから壷を沈めておくと、いい寝床があるやんけ、ってご機嫌で入っちゃって、翌朝引き上げられて捕まるらしいのだけどね。この俳句、その蛸を詠んでいる句らしく、蛸がね、いい家が見つかったなあ、って壷に入って、この一夜限りの命とも知らず、夏の月がキラキラしているのを夜にみている、っていう句なんだ、と分かった時の、私の驚天動地の具合と言ったらただ事ではありませんでした。もう駄目だ、人間なんて罪深すぎるから尼になろう、と本気で少し考えたくらいには蛸がかわいそうで、でもたこ焼きは美味しくいただけます。美しくて心地よい一夜の夢は、人の手によって終わるのだよ。心地よさに機嫌よく美しい月を蛸が見ているのかと思えばもう、心がすり減る様で悲しくてなりませんでした。いや、蛸が美しい月を美しいって思うのかどうかはまた別の話なのだけど。そりゃあキリストだってお前たちの罪を私が背負おうって言って磔になるわ、人間なんて生きてるだけで罪深いわ、と明後日の方向まで思考は飛びました。蛸が哀れでならないよ。でもおいしいの知ってる。そんなわけで、この句を知ってから、芭蕉さん、万歳三唱、の人の気持ちが深く理解できました。この短さにこれだけの物を込められるなんてどういうことなんだ。この句を知ってから、ずっと気分は哀しい感じをたゆたっています。蛸…蛸…メスを殺してしまうと隣にいたオスは身が竦んで動けなくなるから両方捕まえられるけれど、オスを先に殺してしまうとメスはものすごい速さで逃げてしまうからオスしか捕まえられない蛸・・・。なんて哀しい生き物・・・タコ・・・。

 

でもそんなかなしい気持ちのままで夕食を作りながら、卵焼きに使う卵を割ったら中から黄身が二つ出てきて、わぁこれは珍しいお母さんに見せてあげよう、とお母さんを呼びました。卵一つで命二つ。蛸をかわいそう、と思う気持ちのままで植物を切り刻みながら、卵一つで命二つ、これを吉事と喜べる、私は本当にどうしようもなく人間だな、と思ってその小さい黄身ふたつ、いつまでも眺めていました。

すごくない?この一日の流れ。これふつうに、純文で小説一話書けるからね?蛸から始まって卵の中に黄身二つ、で終われる小説にできるからね?なんなの?私の人生はやっぱりフィクションなのかな?

そんな毎日です。芭蕉さんはすごい連盟に加入。なっちゃん、修羅場はどうですか。